浦和地方裁判所 昭和56年(ワ)19号 判決 1982年4月15日
原告 村田勝司
右訴訟代理人弁護士 黒川達雄
被告 新井冨壽
右訴訟代理人弁護士 持田幸作
同 岡田優
主文
一 被告は原告に対し、金一八八万八八八八円及びこれに対する昭和五五年六月一六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。但し、被告が金七〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年六月一五日から完済まで年六分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 右1項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は飲食業を営む者であり、被告は貸店舗業を営む者である。
2 原告は、昭和五五年四月九日被告との間で別紙物件目録記載の店舗(以下「本件店舗」という。)につき左の内容の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結し、本件店舗を賃借した。
(1)賃料 一か月一七万円
(2)期間 昭和五五年四月一五日から三年間
(3)敷金 五〇万円
(4)礼金 二〇〇万円
原告は、前同日被告に対し右敷金五〇万円及び礼金(以下「本件礼金」という。)二〇〇万円を支払った。
3 原告と被告は、昭和五五年六月一五日本件賃貸借契約を解除することを合意し、そのころ原告は被告に本件店舗を引渡した。
4 右同日、被告は原告に対し、本件礼金二〇〇万円を返還することを約した。
5 仮に前項の返還約束が認められないとしても、賃貸借契約が途中で合意解除された場合には、礼金(いわゆる権利金)は賃貸人に当然返還されるべきである。
6 よって、原告は被告に対し、本件礼金二〇〇万円及びこれに対する昭和五五年六月一五日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1ないし3の事実は認める。同4、5は否認する。
三 被告の主張及び抗弁
1 本件店舗は、西川口駅前の商店街(商業地域)に位置し、原告は、本件店舗を風俗営業(ことにいわゆるピンク営業)を営む目的で賃借したものであり、本件礼金は場所的利益の対価としての性質を有するところ、このような場合契約期間の途中で賃貸借契約が解除されても、賃借人は賃貸人に対し礼金の返還請求権を有しないのが一般の慣習であり、本件においても、契約締結の際原告と被告の間で、本件礼金は返還する必要がないとの了解があった。ことに、本件の場合、原告が営業許可を受けるのに必要な近隣の住民の承諾を得られなかった(しかも、原告が右承諾を得られなかったのは、原告が飲酒して威圧的な態度で承諾をとりにまわったという、原告の責に帰すべき事情によるのである。)という賃借人側の事情により、合意解除に至ったのであるから、被告は、礼金返還義務を負わない。
2 また、原告は、ピンク営業という公序良俗に反する営業を目的として本件賃貸借契約を締結し、被告に本件礼金を交付したのであるから、不法原因給付として返還請求権を有しない。
3 仮に、被告が本件礼金返還義務を負うものとしても、被告は原告に対し、昭和五五年四月九日クーラー、テーブル、ボックス等の什器備品を代金五〇万円、代金支払期日同年九月二五日と定めて売渡したので、右代金支払期日のころに、右代金債権五〇万円と本件礼金返還請求権とを対等額で相殺する旨の意思表示をした。
四 被告の主張及び抗弁に対する認否
1 被告の主張及び抗弁1と2は争う。
2 同3のうち、被告主張の什器備品の売買契約の存在は認める。但し、右契約は本件賃貸借契約と不可分一体でこれに附随するものである。その余は争う。
五 再抗弁
1 被告主張の什器備品の売買契約は、昭和五五年六月一五日本件賃貸借契約が合意解除されたのに伴って、同時に原、被告間で解除することを合意した。
2 仮に、原告が右什器備品の代金支払義務を負うものとしても、被告は、本件賃貸借契約の合意解除後右什器備品を廃棄したので、原告は、被告の不法行為により五〇万円の損害を被った。そこで原告は、昭和五七年二月四日の本件口頭弁論期日において、被告に対し、右損害賠償請求権と被告の有する代金債権とを対等額で相殺する旨の意思表示をした。
六 再抗弁に対する認否
1 再抗弁1の事実は否認する。
2 同2は争う。原告は、本件賃貸借契約解除後前記什器備品の所有権を放棄したものである。
第三証拠《省略》
理由
一 請求原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告が被告に対し本件礼金の返還請求をなし得るか否かを検討するに、合意解除の際に礼金返還に関して当事者間で具体的な約定がなされたならば、当事者はこれに従うべきであると考えられるから、まず原告主張のごとき礼金返還の合意の有無について判断する。
前記一の争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、「原告は、本件店舗をキャバレー又はバーの類いの風俗営業をする目的で賃借したが、営業の許可を受けるためには近隣住民の承諾が必要であったので、本件賃貸借契約締結後、本件店舗で開店の準備をするとともに、近隣商店から承諾を得べく交渉してまわったが、結局二軒位から承諾を得られなかった。そこで、原告は、現実に開店して営業を開始するに至らずに、本件店舗で営業することを断念し、本件賃貸借契約締結の翌月である昭和五五年五月ころ、不動産業者で契約締結の際仲介した訴外飯郷正喜を介して被告に対し本件賃貸借契約解除の申し入れをした。被告の側では、当初原告との賃貸借の継続を希望したが、原告の意志が固く、被告もやむなく解除の申し入れに応ずることになった。右交渉の際、原告は飯郷を介して、敷金のほかに礼金二〇〇万円についてもその全額を返還するよう要求し、被告はこれを拒絶していたが、飯郷が礼金の半額を返してやってはどうかと説得し、同年六月原告と被告が飯郷を交えて話し合った際、被告から、本件店舗の新たな賃借人が決まってそこから権利金が入れば本件礼金の一部を返還してもよいとの話が出たが、具体的な金額は示されなかった(なお、敷金五〇万円は同年六月一七日原告に返還された。)。その後同年一二月ころ被告は別の不動産業者を介して原告のもとに五〇万円を持参し、礼金の返還は五〇万円で了解してくれと申し入れたが、原告は右金額を不満としてその受領を拒絶した。」との事実を認めることができる。
右認定事実によれば、結局、原告と被告との間で本件礼金返還についての具体的合意は成立しなかったとみるほかない。
三 次に、礼金の返還について当事者間で特段の合意が存在しない場合に、賃借人が賃貸人に対して礼金の返還請求をなしうるか否かにつき検討する。
礼金、より一般的には権利金といわれるものの性質には種々のものがあると考えられるところ、《証拠省略》によれば、本件店舗は国電西川口駅前の繁華な商店街(商業地域)にあり、原告の前の借主は本件店舗でキャバレー(ことにいわゆるピンクサロン)を営業し、原告も同様の形態の営業をする目的で本件店舗を賃借したものであることが認められ、右事実に鑑みると、本件礼金は本件店舗の場所的利益の対価としての性質をもつものであるということができる。
ところで、前記一及び二の事実によれば、本件賃貸借契約は期間三年の定めであり、原告は賃借の目的とした本件店舗での営業を現実には全くなさないまま、賃貸借期間開始後わずか二か月を経過したに過ぎない時点で契約を合意解除し本件店舗を被告に引渡したものである。
右のように、期間の定めのある賃貸借契約の締結時に場所的利益の対価としての性質を有する権利金が授受され、その後短期間で賃貸借契約が合意解除されるに至った場合には、特段の約定がなされない限り、賃借人は賃貸人に対し、その交付した権利金を按分して残存期間に相当する金額を不当利得として返還請求し得ると解するのが公平の見地からみて相当である。
被告は、賃貸借契約が期間途中で解除された場合でも賃借人は賃貸人に対し礼金の返還請求権を有しないのが一般の慣習であると主張するが、本件全証拠を総合してもそのような事実たる慣習の存在を認めるに足りないし、また、本件契約締結の際に期間途中で賃貸借が終了した場合の礼金の取扱いについて当事者間で合意がなされたとの事実を認め得る証拠もない。
なお、本件賃貸借契約が合意解除されるに至ったのは、前記のとおり、原告が営業の許可を受けるのに必要な近隣商店の承諾を得られなかったことによるのであり、確かに被告の主張するとおり原告側の事情による(但し、右承諾を得られなかった原因については、《証拠省略》中には被告主張に添う供述部分もあるが、《証拠省略》に照らしてにわかに措信し難く、他にこれを認め得る証拠はない。)ものといわなければならないが、原告に債務不履行又はこれと同視し得るような事情があったわけではなく、結局双方の合意により解除したのであるから、右の一事をもって権利金の返還請求権の有無を左右するものではないというべきである。
そうすると、本件礼金二〇〇万円のうち、本件賃貸借契約の期間三年から合意解除までの二か月を控除した残存期間に相当する金額は、計算上一八八万八八八八円であるから、被告は原告に対し右金額を返還すべき義務がある。
四 被告は、本件礼金の交付は不法原因給付であると主張する。
しかし、前記のとおり、原告が本件店舗においてキャバレーないしバー、就中いわゆるピンクサロンなるものの類いの営業をすることを目的としていた事実は認められるけれども、本件全証拠によっても、その具体的形態、内容は必ずしも明らかではなく、原告の企図した営業が公序良俗に反するようなものであるとは直ちに断定できないので、被告の右主張は採用しない。
五 被告の相殺の抗弁及び原告の再抗弁1について判断する。
本件賃貸借契約締結と同日である昭和五五年四月九日、被告が原告に対しクーラー、テーブル、ボックス等の什器備品を代金五〇万円、代金支払期日同年九月二五日と定めて売渡したことは、当事者間に争いがない。
《証拠省略》によれば、「本件賃貸借契約締結の際に、被告から原告に対し、本件店舗に置くのに適当な什器備品類を被告が所有し倉庫に保管しているので買わないかと申し入れ、原告がこれを承諾し、店舗賃貸借契約書の特約条項中に右売買に関する条項が記載された。右什器備品は本件店舗に搬入され原告に引渡されたが、結局原告はこれを現実に使用することがなく、本件賃貸借契約が合意解除された際にもお互いに右什器備品のことは全く話題にならず、本件店舗内に置かれたまま、かつ被告もそのことを知ったうえで、そのころ原告から被告に本件店舗が引渡された。」との事実を認めることができる。
右認定事実によれば、右什器備品の売買契約は本件賃貸借契約が合意解除された際に、同時に原告と被告の間で合意解除されたものと認めるのが相当である。
従って、本件賃貸借契約解除後も右什器備品の代金債権が存在することを前提とする被告の相殺の抗弁は失当である。
六 以上の次第であるから、原告の本訴請求は、金一八八万八八八八円及びこれに対する本件賃貸借契約解除の日(そのころ原告は被告に本件店舗を引渡し、かつ本件礼金の返還請求をした。)の翌日である昭和五五年六月一六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言及びその免脱の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 小松一雄)
<以下省略>